2020年1月31日
共生。
共生社会を考える。共生と簡単に2文字並べて言ってみるが、その言葉の底はまるで見える気がしない。共生社会の理想と現実にはとてつもない距離を感じる。法律、条例など様々なものをみても、言っていることはもちろんわかるがそれらを制定することでは問題解決にはつながらない気がしている。みんな違ってみんな良い。そう簡単に言えることができれば争いごともなくなっていく。
我々はそれぞれ個がある。無意識に他人と自分との共通点を見つけてしまったり違うところを指摘したりしてしまう。普通じゃないと言う言葉がまるで悪いかの様な意味を持っている。これは我々日本人の島国意識なのか、集団的意識に従う様にプログラムされているのかわからないが、日本的な風土であるとも言える。このなんとも言えない右にならえ感。気持ちがいいと感じることもあれば気持ちが悪いと感じることもある。なんとも不思議だ。
風土を変えるには時間がかかる。徐々に変化していくことで固まってくるものだからだ。ここ最近1月なのに春のような気温になることがある。我々は急激な変化には弱いはず。専門家の意見などでなくても日々の気温や天気などから地球を感じると異常気象は事実のようだ。共生と言う言葉の中には地球と共にと言う意味もあると思う。
大量生産大量消費によるダメージはとても大きい。我々の次の世代に何を残せるのかと言うことも非常に大きい。尻拭いだけさせるのはなんとも悲しい。日本人は自分がされたこと、してきたことを人にも要求しがちだ。その連鎖は何を生むのか。世界的に見れば日本はマイノリティだ。そのことを自覚して我々日本の中のマイノリティと呼ばれる人達の声に耳を傾けなければならない。そこにこれからの共生社会のヒントがあるのではないか。
前橋市議会議員 岡 正己