2022年3月16日

スケートボードOK!?

「どこもかしこもスケボー禁止!」

これは前橋市だけではなくどこの都市でも同じである。しかし全国に目を向けると様々な自治体が様々な方法でまちをスケーターに開放している。これは東京オリンピックでのメダリストの活躍や、新型コロナウイルス感染症の影響による密にならない野外でのアクティビティに注目が集まったことも影響してのことである。

令和4年3月11日、前橋市議会第1回定例会、総括質問2日目、赤利根:岡の質問に建設部長が答えた。
Q:この前橋市でスケートボードはどこでできるのか?
A:前橋公園の一部にスケートボード広場を整備してスケーターに開放します。

これは前橋市で公の場所が初めてスケーターに開かれるということが公表された瞬間である。令和4年度当初予算の身近な公園・緑地整備事業の中にスケートボード広場の整備ということで400万円が計上されている。この400万円という金額は決して多くはないが、公園の一部がスケートボードOK!になるということはとても大きな一歩である。

全国で行政主導によって工事を行なった際に実際の使い勝手が悪くなるなどの事例もあるようなので、整備にあたっては、リアルなスケーターたちの意見を取り入れていただくように要望した。公にスケートボードができる場所として末長く愛される広場整備に期待したい。

3月28日の定例会最終日に可決されれば令和4年にこの看板が変わる日が来る。

□本日のめぶき 「お時間のある方はここに至るまでの長いストーリーをどうぞ!」
きっかけは2015年、前橋のまちなかで開催された「前橋〇〇特区45DAYS」。 前橋のまちなかを中心に10月10日~11月23日の45日間、毎週末食のイベントを実施したいとの思いからスタートし、食のイベントだけではなく、市民それぞれの思いをかたちにするという前橋市民総参加型ソーシャルアクションとして「前橋を〇〇で盛り上げたい!」という気持ちに寄り添って様々な企画が実行された。

毎週末のイベントは前橋まつりを皮切りにビールのイベント、ワインのイベント、ファーマーズマーケットなどいろいろな企画を盛り込んで実施され、45日間の総参加者数はのべ50,000人に上り市民の特区宣言も100以上集まった。最終的にアーカイブとして1冊にまとめて3,000部発行した。※前橋〇〇特区のフェイスブックページより

このソーシャルアクションの中に前橋を「スケート特区」にしたいというものがあった。私は事務局として堀田区長(全ての企画の言い出しっぺは〇〇区長となる)と共にまちなかをスケート特区にするべく動いた。

当時から良い印象がまるでなく、ステージの屋根が設置されたものお祭りの時以外ではほとんど稼働していなかったQの広場に目をつけて、商店街、近隣住民への説明など準備を進めて10月10日の当日を迎えることになる。

以下は、2015年9月25日の私のFacebookの投稿。

「う~ん、ここ最近はとてつもなく忙しい!それはなぜかと申しますと前橋〇〇特区が10月10日からスタートするからです。
これは、前橋がこんな街になったらいいな~♪という思いを〇〇の中にいれて宣言してみようということ。
本当にそうなるかはわからないけれど、市民一人一人が自分たちのまちをこうしたい!と思うことが何より必要だと思います。
誰かに頼ったり、文句言ったりする前に自分の思いを伝えてみよう!
そんな市民の声を少しでも形にするために、この前橋〇〇特区は始まります!
この45日間何かをし続ける、どんな小さなことでもいいので自分が思うことを45日間続けてみよう!
継続は力なり、仲間が出来たり、敵が出来たり、仕事になったり、趣味になったりするかもしれません。みんなの日常をイベントに変えよう!
前橋の主役はあなたです!ちなみに私は、前橋さいせい特区 と 前橋合唱特区をやってみようと思います。」

使われていなかったQの広場をスケートボードができる場所として開くことで、まちなかにどのような変化が起きるのか。社会実験的な要素も多く含んでいた。私は毎週末なにかしらのイベントが開催されるという日々が始まったこともあり事務局として忙しさを極めていた。すると当時の職場(株式会社まえばしCITYエフエム)に一本の電話が入る。スケート特区が行われるQの広場の近隣住民からであった。その電話の内容は今でも忘れられない。

「土下座をさせてほしいから今すぐ来てくれ」

というものであった。近隣説明の時には、奥さまに説明をさせていただいて、音などが気になるけれども45日間は我慢できるというなんとか乗り切れそうかなという感触を得ていた。

電話のお相手はその奥さまの旦那さまで「とにかく音がすごい!びっくりっして生活ができない!今すぐにでもやめてほしい!やめてくださいというお願いをさせてほしいので土下座させてほしい!今すぐ来てくれ!」

という衝撃的なものであった。私は急いで現場に向かい旦那さんとお話ししたがもうこれ以上この場所でスケートボードはできないと確信した。

スケートボード会場の移動を余儀なくされ、次の候補地として上がったのは前橋〇〇特区のメイン会場の横というベストな環境であった。

Qの広場での住民との経緯などから前橋市とも協議して実験的に行うということでメインの会場にスケートボードのランプを置くことが出来た。流石にここは無理かと自分達で最初から決めてしまって検討すらしていなかったが、よくよく考えれば一番ベストな場所にハマる形となった。めぶいた瞬間である。

この流れは翌年の「maebashi45DAYS」へと受け継がれていく。
以下は2016年12月11日の45DAYS報告会の時の堀田さんの投稿

「昨日は、45DAYSの報告会でした、思いもよらぬベストDAYS賞を渡邊実行委員長から頂け、しかも当日の最後の挨拶まで突然にさせていただける事になり事務局の岡くんにはかなり感謝です。
そして、上毛新聞さんにも掲載せれたようで冷やかしのメッセージをたくさん頂けて嬉しい限りです。
「やりたいことが出来る街」今年の45DAYSのスローガンですが、本当にそんな素敵な街になるように少しでは有りますが協力出来たのではないかな~なんて思います。また来年もやるよ!!」

これらの社会実験を経て、まちなかにスケートボードができるという新しい価値により来街者などが変化することは証明された。しかし、スケートボードと苦情は切っても切れない関係にある。

前橋市としても様々な市民要望からスケートボードができる場所は必要であると認識していたということでスケートボード広場の検討がなされていく。その中で苦情という部分を考慮すると、どうしても郊外にならざるを得ないという結論に達したようである。郊外にある前橋市総合運動公園に整備予定の多目的広場にスケートボード広場を作るという方向に向かってしまい中心部で「スケートボードOK!」という願いは叶わなかった。

時は流れて、東京オリンピックである。スケートボードが市民権を得た。様々な要望の中で「中高生などが気軽に行ける場所でスケートボードができる」ということに光が当たり始めた。山本市長からも応援を頂きながら2015年当時のように堀田さんと様々な可能性を考えてながらリサーチして提案を繰り返した。

その度に行政的な“その場所の目的”など、目には見えない規制などにぶつかる。この場所は群馬県なのか河川なのか、前橋市なのか、前橋市であれば公園なのか等々。前橋市の担当者と全国の事例や意見交換を繰り返しある一定の結論に向かっていく。

ある程度中心部であり、近隣に住宅などがない場所となると前橋市のシンボルのひとつ前橋公園しかないということになったのであった。

前橋市議会議員 岡 正己

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