2018年6月18日

わっしょん。

「わっしょんパレードは中止です。」その一言が私の考え方を変えた。

人生の先輩であり、まちづくりの同志であり、自転車通勤部の仲間。
弁天通りの名物仙人、弁天村村長こと橋爪博翼さんが亡くなった。

コンパクトシティーで前橋七福神構想。
前橋の中に7つの小さな拠点を作り、
それらを公共交通で繋ぐという発想も博翼さんならではで面白かった。

まちなかを自転車で走っているヒッピーのおじいさんというイメージから
先輩のお父さんであることを知り、その後まちづくりの意見を交わすようになった。

ラジオ局の時はフリーペーパーの取材で生い立ちから
今後の構想まで様々なお話をしてくれた。

博翼さんとの最後のやりとりは、メッセンジャーで自転車の道路をなんとかしなければ
と言うものだった。

自転車に乗っていない人が作る道路。
車道との境目の段差によって自転車や体もダメージを受ける。
内臓、首、腰、全てにダメージが蓄積される。
バリアフリー的な観点からもそうだ。道を分断している。
最後の最後までまちのことを考えていた。

自分が開催するイベントにも最年長の皆勤賞で参加してくれた。
前橋に帰って来て色々なことを気づかせてくれた。

東京にいた時は、自分の親ほど年が離れた方と
この街をどうやってよくしていくかなんて話はしなかった。

前橋の歴史、可能性についても様々な話をした。

弁天通りから感じる多様性は橋爪博翼のお陰だと思う。
最後の最後までこの前橋に希望を持って話してくれた。

わっしょんパレードは今の自分にとても大きな影響を及ぼしている。
「わっしょんパレードを開催するので来てください。」とチラシを受け取った。

2月の前橋が一番寒いと感じるであろう日曜日の夜。
私は一人でまちなかにある中央イベント広場に向かった。

そこにはお客さんは誰もいなくて、一人テントの下で音楽を流している博翼さんの姿があった。
風もすごく、とても寒い中でたった一人でイベントを開催していた。

私は「わしょんパレードはどこでやっていますか?」と話しかけた。

博翼さんは「わっションパレードは中止です。」と一言。
そのままDJを続けていた。

その姿を見て、私はイベントに集客は関係ない熱量だ。と気づいた。
何人来るからとか、何をやっているかなんて関係ない、やりたいからやる。

その姿を見て私は考え方が変わった。

それは観光地にあるお土産と同じだ。
売りたいものを売るのではなくて、売れるものを売っている。

集客や売り上げということに執着しすぎて本来の自分達を見失う。
個性があるというのは素晴らしいことだ。

その後、そのイベントを手伝うことにした。
前橋夜市という夜のフリーマーケットだ。

わっしょんという地域通貨的なものにも一緒に取り組んだ。
当時、早朝カフェに立っていた博翼さんがドリップしたコーヒー抽出カスで
染めた障子の紙を近隣店舗に配って夜のフリマで使えるものにした。

新しい価値の創造だ。
障子紙に価値を加えてフリーマーケットで売っている物と交換できる仕組みだ。

ヒロセーヌ川パリ祭(広瀬ーヌ川葉里祭)のネーミングもサイコーだった。
先輩としていつも我々にその背中を見せ続けてくれた。

先輩からいただいたものが多すぎる。課題は多いがやりがいはある。

「博翼さんまたわっしょんしましょう!」

前橋市議会 議員 岡 正己

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