2021年7月6日

講義:ウスビ・サコ学長/本郷 和人教授

滋賀県大津市にある公益財団法人全国市町村研修財団 全国市町村国際文化研究所で今年2回目の研修に。研修コースは「令和3年度世界情勢からわがまちの未来をつくる〜トップマネージャーの方のために〜」で1泊2日の日程。合計で4人の講師からそれぞれ1時間半の講義を受ける。

最初は、京都精華大学ウスビ・サコ学長から「アフターコロナ・ウィズコロナ時代の世界と日本」というテーマの講義。マリ王国生まれのウスビ・サコ学長は日本に30年近く住んでいて、専門は建築計画/住宅計画 /環境共生建築等である。

「日本の文化を理解しないと日本語は喋れない」と堂々と流暢な日本語で時々ジョークを入れ込みながらの講義となった。空間人類学に興味があり、集まって住む形の変化と動向や建物にまつわる人々の動きなど無形的なところの研究を行なっていた。

KAMADO (かまど)同じ窯の飯をくうというぐらい食は生活の中心でそこに生活の形が現れる。形は機能によってつくられる空間占有の研究の話はとても興味深かった。それは言葉にも現れる。京都の人は自分の家の前を掃除する。掃除するところと掃除しないところ、他の家との境を作って、意識的に「うちらとあそこ」をつくるという。どこからが境界線なのか。これもとても面白い研究だった。

・新型コロナウイルスと社会の変化を考える
コロナ禍によって明らかになった世界経済の脆弱性、グローバル化を疑う時が来た。日本は
世代感ギャップに気がついていないという。コロナ禍で浮上したのは、世代の分断とコミュニケーション問題である。Z世代の新入生は「デジタルネイティブ」「現実的」「正義感」という特徴があり環境問題や人権問題などに関心がある。

ヒト・モノ・カネ・情報。その価値はひとつの国で決められない。国際化は、国対国の話であるがグローバル化は違う。外人という枠を脱することが求められている。お互いを認め合い、一緒に成長する。外国人というパッケージから個へ。そのためには文脈や暗黙知を重視し、
主体性と協調性を両立させていくことが求められる。

多様性VS多文化共生。多様性と多文化共生は違う。多様性は故人間の違いを認めること。多文化共生はそれを受け入れること。留学生はお客さんじゃない。同化じゃなくて居場所を開拓させてあげるような流れ。過度なお客様サービスは帰ってNGである。余計に分断が起きてしまう。日本の 社会に参画させないといけない。テーマは外国人の社会参加であるが日本社会の均質的なテンプレート化フレーム化するという教育(日本人という幻)によってルールが追いつかないこともある。(役所など)

人間VS自然と考えた時に、最も良いのは何かを考える。答えは地域社会の団結である。京都精華大学の事例。留学生専用窓口を廃止した。全員同じ学生である必要なことは「マイノリティを優遇するのではなく マジョリティの意識改革である」誰もが多様で違いとともに成長する。そのために世界をみる、世界を知る。清華大学のVISION:表現で世界を変える

・異文化間のコミュニケーションの重要性
不安に立ち向かい変革を起こしていくためには身近な異文化を理解することが必要である。
「文化とは核を持ちつつも常に時代の変化と溶け合ってきた結晶である」なんていい言葉なのだろう。

アイデンティティクライシスの時代において我々がやらなければならないことは「原点を問い直す」こと。私とは何者か? 我々は何者か?自分の変化を恐れず「問い」を立てられる教育が必要になっている。日本は教育が足りなすぎる。18歳までの政治教育は?政治参加は?共通教育(人間としてどう生きるかは)は?人権は?などなど。国に期待しすぎて怠けている。

また政治の世界も、体制派や少数派などではなく誠実差の問題である。支持者との関係性などだけで進めているものはないか。政治家になったときに自分が誰のものなのか?地域を見過ぎて国が見えていないとも言える。

□東京大学史料編纂所 教授 本郷 和人氏

疫病の日本史
日本列島にどれくらい人が住んでいるのか。現在の人口:1億2千万人である。600年(日本が立ち上がった時)は600万人。関ヶ原の戦い1600年には1200万人。1000年をかけて倍にしかならなかったのはなぜか。答えは争いである。勝ったもん勝ちの世の中、飢えや病気が人口を抑制した。

しかし、江戸時代は悪いことをしたら捕まる時代で争いもない。そうなると人々は将来のために勉強しようとなった。1700年には2500万人まで増えた。江戸時代は3000万人まで養えるシステムだったと言える。

ある意味3000万人を超えるためには明治維新が必要であった。江戸時代は知能水準が上がった時代、人口の28%が読み書きができた。これは圧倒的に世界1である。当時2位のイギリスでも10%行かない。

病との付き合い方
現在はがんなどであるが、昔は糖尿病、結核、脚気などが多かった。貴族などで脚気で死ぬ人の多く。脚気の原因はビタミン不足である。歴史上の人物でも森鴎外、高木兼寛などが脚気によって無くなっている。軍隊のご飯の問題もあって白米ではなくて玄米じゃないとビタミンが取れない。これはイギリス海軍なども悩まされた。船の上でライムを絞って飲むなどしてビタミンを補給していた。イギリス人を馬鹿にするときは「ライミー(ライムやろう!)」と言ったという。ビールで割ってライムを飲ませるなどしていたが最終的にジャガイモを食わせたようだ。ビタミンが豊富な食材として代表的なものは豚肉である。

最悪の感染症:ペスト
たくさん人の命を奪った。中世ヨーロッパでは3分の1が無くなった。これがキリスト教に対しての疑いを持たせることに元ながった。宗教改革の裏にはペストがあった。モンゴル帝国(中国大陸では元)が鎌倉時代に攻めてきたとき、ペストがヨーロッパからアジアに到達した。しかしペストは日本には来なかった。日本と元は商売のやりとりはあったが、国交はなかった。海というのは国と国と繋ぐものであり隔てるものでもある

天然痘と麻疹(はしか)この2つが日本人を困らせた。1492年にコロンブスが持ってきたもの。梅毒も大流行した。黒田官兵衛は梅毒だった。当時の文献から水銀を飲んでサウナに入ると治るとヨーロッパで噂になっていたようだ。737年天然痘が博多に上陸して東へ東へと進んでいった。推定であるが総人口の25〜35%(100万〜150万人)が天然痘で死亡したと言われている。そして鎮魂の意味で朝廷が東大寺の大仏を作った。

・何がわかってきたか
1文字資料は万能じゃない
2海の役割が見えてくる
3神道の重みが見えてくる 仏教哲学、仏教の思想性も大事だが、理解できる人間は何人いるのか?お経を日本語で現代文で読んだことあるのか?

新型コロナの死者は、日本は1万人、フランス人は10万人(人口は日本の方が2倍)である。神道には教義はなく、厳しくいうことは清らかであれということ。神様の前に出るときは手を洗って口を洗う。日本人の言われなくても持っている清潔好きの元になっているのではないか。天然痘の歴史があるから清らかであれと教えてくれていた。日本人の魂に神道は浸透している。

天然痘にかかった人の瘡蓋の粉末を鼻から拭きいれる人痘法の接種を成功させた事例もあったようだが門外婦室にしたことによって広がらなかった。一子相伝にしたことによっての弊害があった。

その昔は、地域に活気があった。そこに住む有力者がお金を出し合い、有能な若い子を育てていた。お金を出して医者などの知識人のところに行かせた。その子は知識だけでなく人脈も作ってくる。兄弟子、弟弟子など。医療都市の前身となる。教育と地域と医療を結びつける。知識人を地域で作ることで愛郷心を持つ。機能的なものを追いかけていくのは邪道である。

□本日のめぶき 「ダイバーシティに必要なもの」
マイノリティへの優遇ではなく、マジョリティの意識改革である

前橋市議会議員 岡 正己

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