2017年11月15日
白と光
前橋文学館友の会主催の文学講演会で前橋文学館に伺った。
先日の詩のワークショップでも伺ったので何かと縁がある。
講師は萩原朔太郎の孫で現在前橋文学館の館長を務める、萩原朔美さんだ。
この方が、館長になられてからその機会は大きなった気がする。入館者数も増えていると聞く。
「萩原朔美館長、誕生日おめでとうございます。」
本日はお誕生日とのことで以前よりお渡ししたいものが渡せてよかった。
講演会の内容は「朔太郎のセセッション様式と乱反射」
萩原朔美館長とは、ラジオ局時代から取材でお伺いさせていただいたり色々なところでご一緒させていただいてる。
今日のお昼も、大川屋という蕎麦屋で偶然一緒になった。大川屋は蕎麦屋だがうどんも美味しい。
実はきしめんもとても美味しい。
群馬県は小麦の生産が盛んで、各家庭で“手打ち”をする文化もあった。
お店でも家庭でも前橋のうどんは美味しいので是非ご賞味あれ。
朔美館長はとても愛嬌のある話し方で、祖父の朔太郎のことを分析していく。ご自身の得意な映像の文脈で解釈していたり、朔太郎の詩の中の『白』という部分に着目していた。
白くないものを白っていったりする。映像の世界ではすべての色が集まると白になる。逆に考えて白はすべての色の源である。そこから溢れ出す無限のイメージを白と表現しているのか。
光の話もしていた。朔太郎は「光がどんどん集まってくる、手のひらの中にたくさん集まって集まりきったら一気に放出するようなイメージ。光が来るのを待つ。」というコメントを残しているらしい。
詩集をデザイン的に捉えていたこと。句読点のつけ方によって世界を変えることなど朔太郎にさらに興味を持つことができた。
特に、初版と第2、第3版などでは表現が違う部分がある。あえて変えていたり、出版の都合とか色々あるようだがやはり初版を見てみたいと思わせてくれた。
朔太郎は自分が書いた詩が直後に理解できなかったことが多々あったらしい。手が勝手に書いていたとでも言おうか。書き終えてから1ヶ月、2ヶ月、ときには一年後に自分の書いた詩の意味が解るという。
書いてるのか、書かされてるのか。詩人というものは突き動かされるように言葉が出て来るもののようだ。
自分でもわからない自分の部分を表現する
朔美館長が
「群馬は風が強いから詩人が多い」
といっていたことも印象的だった。
確かに風が強いと一人でも「ウゥウ〜〜フゥ〜〜」とかついつい口から出てきたり。
「寒いっすね〜〜、今日は風ですね〜〜」とか思わず他人同士が話すきっかけになったりもする。
前橋は風に背中を押される場所なのかもしれない。
時間がなくて講演会しか聞けなかったがその後は交流会もあったとのこと。
今回の講演会は前橋文学館友の会さんが主催していた。かなりご高齢の方がが多い印象だったが
皆さんとても意欲的に聞き入っていた。
前橋は詩のまちであると思うる瞬間だ。
前橋市議会 議員 岡正己