2019年11月8日

第81回全国都市問題会議 in 霧島 1日目。

「第81回全国都市問題会議 in 霧島」 距離感が全然わかっておらず、集合時間の速さに疑問を持っていたら、宿泊している鹿児島市内から霧島市の会場までバスで1時間以上かかった。会場は全国から集まった市長や議員で溢れかえっていた。

基調講演は志學館大学 人間関係学部准教授 原口 泉氏 による
「鹿児島の歴史から学ぶ防災の知恵」
講演は様々な知識が泉のごとく溢れ出してきて、様々なところにポイントが散りばめられていた。話題が逸れても、逸れた先で必ず着地できるところがすごい。南九州の土地の特徴から、自然災害の歴史、そこから得た今に生きる防災の知恵を伺う。南九州は江戸時代から、「洪水→台風→旱魃→虫害→疫病」のサイクルを繰り返し、さらに火山爆発、地震、津波が被害を増幅させていた。2万9000年以上前の姶良火山の大爆発により火砕流が高温で堆積しシラス大地が誕生した。温度の低下とともにガスが抜け、空洞(洞窟)がいくつもできて、これを「ガマ」という。このガマは長い歴史の中で様々な使われ方をしていて、縄文人の住まいから、近世では食料の貯蔵庫、西南戦争の時の西郷軍の隠れ場所にもなった。特に、年中室温が一定でわき水が豊富で井戸にもなっていたガマは、農具や肥料を保管する作小屋としても使用され、この地域の防災農法の保管庫()となった。防災農法とは、一農家の所有高知を価値こちに散在させ、作業効率を犠牲にしても、台風の筋(突風)に当たり、一農家の耕地が全滅するのを避けるというもの。散在する耕地に思い農具や肥料を持ちまわる必要が生まれるが、ガマがその保管庫になったということだ。災害が多いこの地域は、災害をある程度は受け入れるという土壌がある。特に鹿児島と沖縄は顕著にでているという。もともと関東の治水の考え方も流水場に溢れさせるというものだったという。

門割制度という江戸時代の防災農法がある。簡単にいうと土地の割かえ制度のことで、門という4〜5戸の農家の集まりごとに耕地(田畑)を割り当て、一定期間ごとに割変えをする制度このと。東北地方や西日本の河川流域などで局所的に多くみられる制度だが薩摩藩では全域的に施行されていた。耕地を割り変えるという一見面倒な制度だが防災の観点から見ると、とても理にかなうものだ。大きな知恵は2つ。1つは「被害の均分」。例えば、土石流で耕地が壊滅的な被害を受けると、直ちに村の人々全員で災害復旧にとりかかる。復旧後は、被害を受けなかった耕地を含めて、区割りを決めて新たに配分する。被害を受けた人も、全く被害を受けていない人も新しい耕地が配分されるということだ(配分はくじで決める)。2つ目は「危機の分散」。新しく配分される耕地は、1箇所にまとまっていない。細かく分けられた耕地を、あちこち組み合わせたもので、1人耕地があちこちに散在していることになる。これは一見すると、作業効率が悪くなるだけで無駄の多い配分方法のように見えるが、実はリスク分散になっている。耕地が1か所にまとまっていた場合、台風の突風などで全滅してしまう可能性がある。農地を分散させることで全滅を防ぐ知恵だ。このように南九州では少なくとも前近代においては、災害が起きることを前提として築かれている。現代の考え方は、治水で自然を征服し、コントロールしようとする。しかし自然災害を前提にすることで、共助で災害復旧に立ち向かうというスタンスもあったのだ。今まさに重要視されているレジリエンスがそこにはある。話が横道にずれる。台風が来るということは種が拡散されるということ。現に南九州は3400種が分布している。多様性な種は、多様な気候帯と台風が原因だという。また話が横道にずれる。江戸時代の漂流の半分は薩摩藩だったという。長いこと漂流しても、焼酎でお馴染みの蒸留の技術で海水を真水にし、漬物やシーラやカツオを吊り上げてビタミンCを摂取していたという。なんともたくましい。 鹿児島の言葉で「うったちがはやい」というのがある。災害を悔やむよりもすぐに作業に取り掛かる立ち直りが早いという意味らしい。「くよくよ悔やんでいても変わらない、それであれば前を向いて行こう!」というなんとも南国らしい精神である。

「霧島市の防災の取り組み ―火山防災―」
霧島市長 中重 真一氏からの主報告

霧島山は20を超える火山の集まりで、複数の火口や火口湖が2県5市5町にわたっている。現在は3つの火口が噴火警戒レベル1となっている。平成23年のマグマ噴火の時の空振がわかる貴重な映像を見せていただいた。市の対応として避難壕を3か所整備し、中に内容を掲示した。モーターサイレンと防災無線個別受信機を整備して5キロ以内に39か所設置しモーターサイレンはほぼ全域をカバーした。平成29年の防災対応として市独自の火山ガスの測定を開始した。また、看板を4カ国語に対応し火山ガス測定器、火山ガス、二酸化硫黄、自治体間連携として、環霧島会議を7市町村で実施。面積は2700km2 に及ぶ。霧島火山防災マップを策定しそれぞれの登山道など細かく掲載した。火口ごと、エリアごとのマップとしたところが特徴。錦江湾奥会議という4市による会議もあり目指す方向性を示している。

自助の取り組みとして、非常食、避難場所の確認をH Pだけでなく、広報紙で自助のみの特集組むなど周知を図っている。共助の取り組みとして、様々な団体の連携や自治会の自主防災訓練、要支援の方の名簿の作成など顔の見える関係を構築している。公助の取り組みとして、駐屯地があるので市民と自衛隊の集いなど日頃から行う。

「災害とコミュニティ〜地域から地域防災力強化への答えを出すために〜」
尚絧学院大学 人文社会学群長 田中 重好氏からの一般報告。

冒頭の「政府の進めていた防災対策の到達点と限界が現場にはある」という言葉が染みる。防災は実践的でなければならない。地域の現場から出発するのと、行政の財政から出発するのでは全く向かう方向が違う。条例のことは知っていても、現場を知らなければ現場では動けないのだ。共助の重要性と公助の限界を知っておくことが重要である。コミュニティ防災と開発。キーワードはミリタリーモデル、社会問題解決モデル、目の前の状況に臨機応変に判断し行動すること。災害はカオスではないということを念頭に置き、普段の延長に持っていく。災害は災害対応本部のようなトップダウンではなくてボトムアップで対応していくことが重要である。

コミュニティは社会関係、社会集団、地域的アイデンティティの3つの要素からなる。町がなくてもコミュニティがある。陸前高田では東日本大震災で失われたお祭りの山車を復活させた。祭りがある地域は災害の時に対応能力が高いということも証明されている。避難しない人への言葉として「あなたが逃げないと、目の前の消防団員が死にますよ!」というくらいの緊迫した状態を伝える。自己診断に任せなければいけない部分が多いが、現在の自治体職員のレベルが低い。もっと人事交流を進めるべきである。パースペクティブ(視野を広く)で地域を見ていくことが大切だ。防災の主流化も課題。災害はいつ起こるかわからない。岐阜は市民協働の手作りのコミュニティバスを運営している。運営協議会を作り、自治会よりも大きい範囲でエリアを定め、広告とる、バス停の場所など自分たちで行っている。こうすることで生活コミュニティを育てながら防災を育てるということができた。危機感を持っていないところに防災、防災言っても無理だ。国の政策は失敗してはいけないが、各自治体レベルの政策は失敗してもいい。その失敗から学べることを他の地域に広げていって答えを出せばいい。

「平成30年7月豪雨災害におおける広島市の対応と取組について」
広島市長 松井 一實 氏からの一般報告

広島市は32000か所もの土砂災害の発生可能箇所があり平地部の割合は17% となっている。斜面地への居住が進行しているためだ。平成30年7月豪雨は、梅雨時期の1ヶ月間に降る雨が1日、もしくは数時間で降ったことになる。後期白亜紀の花崗岩の性質による影響など様々な要素が合わさって起こる。210か所で土砂災害が起き、東側に集中していた。26人死亡 2名行方不明、負傷者30人、2471物的被害。

災害後の対策として、危機管理を消防局から独立させ危機管理室を設置。組織の牽制順を上にしていざという時に指示ができるようにした。仕組みも整理した。注意態勢→警戒態勢→警戒本部→対策本部への細かい移行。防災情報共有システムを導入した。やはり平時からのコミュニケーションが大切で、陸上自衛隊との関係も深い。「何かあったらすぐに要請してください」といってもらっているということだ。2186人(1729消防隊員 457消防団員)で314人の救助を実施。145施設を避難場所として開設しピークは7月7日朝6時の1423人。危機管理室が調整役となって機能。

道路のみならず民有地の土砂撤去の問題。原則は民有地の土砂は市で撤去する。下水道局に専門チームを設置し、土木業者などと連携し国の補助制度を活用した。瓦礫が混入している場合は環境省の災害等廃棄物処理事業となり、瓦礫の混入がないものは国土交通省の体積土砂補助事業となる。それらを国の指示通りやったことにより復興が遅れた。発生直後の視察に来た大臣に直談判し、一括搬出した後に仕分けする制度改正を行った。全壊、半壊の家屋に関しても市が着手し罹災証明被害認定調査をする為、これらの職員を認定調査に専任させることで4日後には罹災認定調査に着手できた。現在は246軒中241件完了している。行政区画地域に関係なく対応した。

避難所の環境整備にも着手した。被災者支援の相談をワンストップ窓口で対応。例外はやらないが例外を恐れることなく困りごとを受け止め現場優先でやる。現場優先にすることでスポットクーラーを導入したり、空調設備が整ったところに移動するなど弾力的な対応を心がけた。速やかな健康管理体制をしいた。

仮住宅の提供でも、市営県営住宅等の公的賃貸住宅や民間賃貸住宅を提供した。市が直接借りて提供できる住宅を広報するする。災害救助法の生活必需品最低限なので、被災者の視点に立った独自の視点でテレビを設置した。冷蔵庫、洗濯機、なども可能にした。改良復旧に主眼を置き、 3年間を基本的な復旧機関とした。例えば橋桁が3本だったものをそれを2本にするなど344箇所の内、216着手し81か所完成している。避難勧告が発令された地域においても、亡くなった方の避難行動のあり方を避難対策等検証会議を開き、提言書を提出した。人命が失われることを防ぐためには我がこととして認識する事が重要である。
「我がこと× 地域コミュニティの力」その為に、地域の防災リーダー育成(防災士の養成)、我がまち防災マップ(地域の危険箇所の見える化:災害に応じた避難場所、公衆電話、A E D、災害時使用施設情報など)、地域における防災訓練の支援(初期消化訓練、避難行動、避難所運営支援、炊き出し訓練などをマンネリ化しないように住民参加方で行う)、防災研修会等の開催(有識者による防災の講演会、研修会)、防災ライブカメラの設置支援(設置経費の補助、避難所と河川をスマホなどで確認できるように)小学生防災キャンプの実施

被災地をモデル地区として重点的に取り組みその成果を全市に広げる
・避難誘導アプリの導入:自分の位置情報を送信、指定指南場所への誘導※多言語化して
・防災情報メールの配信地区の細分化:広めに設定していたものを細分化することで我がことに。行政区単位から小学校単位に細分化した。
・災害教訓の伝承:リーフレットを作成し災害の記憶を公正に伝えるため、水害の碑、自然災害伝承碑などのマッピング。
・防災推進国民大会2020の開催:平常時に予断を持たず、住民に当事者意識を持たせる。近隣の市長と危機管理体制の連携などを行う。

松井市長からのメッセージは「狼少年を恐れるな!」災害にあったら、単に機能を復旧するのではなく、すみ続けられる町にしていく。つまりヴァージョンアップしていくことが重要。前例に捉われず、常に検証を行い必要な改善を行い、災害を記録に残し、継承を図っていく。

「火山災害と防災」
防災科学技術研究所 火山研究推進センター長 中田 節也氏からの一般報告。

現在は防災ブームである。様々なビジネスにも展開してきている。危険が迫っている時にどれだけイメージできるかが生き残る鍵だ。実は、火山=災害ではなくて、火山=観光である。
最近のS N Sにより噴火を目にする機会が増えた。よく日本の火山が、東日本大震災の後は活性化しているのかという話になるが実はそうでは無いという。災害で被害が大きくなるのは火砕流、泥流、津波だ。火山は異常を検出し、定期的、定量的に予測しなければならないので、ひとつ前に起こったことを参考にするのは間違いということだ。

外国では1つの部局で研究から監視まで行っているのに対し、日本は監視警報の機関が複数ありデータが一元化できていない。火山防災のプレーヤーが多すぎて、研究対策が重複しているのも問題。これからは噴火を生かしていく日本の場合、噴火をマスコミや国がすぐ直結して不安を煽る。それによる自己責任の欠如が見られる。これは日本の至る所で見られる自己責任の欠如にもつながっているかもしれない。防災を生かした観光へ移行していくべきだ。安全に噴火と自然との付き合いを楽しむ。噴火は地球の神秘なのだ。マスコミの教育も必要。防災を生かした観光は自然の恵みの代償である

例えばハワイのキラウエア火山の噴火の時は、民間のヘリコプターが一人3万5千円程度で誰でもチャーターできて噴火を楽しめる45分のツアーなどがある。近い将来大きな噴火が必ず起きる。火山災害は多様で防災体制は不十分だ。省庁を横断する危機管理が求められる。

途中のアトラクション。

さすがに毎週出張は体にこたえて、体力の衰えも感じるここ最近である。

前橋市議会議員 岡 正己

 

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