2019年1月6日
馴染みとの別れ。
履き込んで、履き込んで、破れてもなお履き込む。お気に入りとはそういう事だ。
新しいものにはない良さがそこにはある。
あともう一回、あともう一回を繰り返し、ボロボロをなおボロボロにしてしまう。特に思い出の品となれば尚更だ。私は着倒してしまう。そのモノ本来の形とは異なる程に。
一緒に時を過ごし、「馴染み」という自分の一部のような感覚になっているものはなかなか捨てられない。着ている時間が長ければ長いほど愛着が湧きそれは私の一部となり、すれ、破れ、ほつれが味となる。その味が時間を感じさせてくれる。日本人らしいわびの精神にも通じる。
大切に使っていた心がそのモノに宿り、他の者には使わせない雰囲気が出る。というかUSED感が満載で普通の人は嫌がるものだ。今の時代、新品が良いと思っている人が大半である。
私は人の嗜好もまた好きだ。その嗜好に自分の思考をプラスして行くことも好きだ。REMAKEというやつの事である。一度作られたモノを解体して再度作り直したり、別のモノに生まれ変わらせたり。ここで重要な事は「過ぎたるはなお及ばざるが如し」だという事。何事もやりすぎはカッコ悪い。
ものには役割がある。その役割を全うしたものは丁重に葬る。また何処かの機会で私に巡り合わせてくれるかも知れない。さて、最後のお仕事は私の大事な自転車を綺麗にして頂こう、さらばスパッツ!
前橋市議会 議員 岡 正己